悩めるシンガポール在住者の前に、忽然と姿を表す場末のスナック、それが「夜間飛行」。
赤い布張りのソファに、古ぼけたミラーボール、そしてそれらを包み込む、懐かしい昭和の歌謡曲。
これは異世界? それとも幻?
時代に取り残されたようなその空間は今夜も、疲れた人々の心にそっと寄り添う……。
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俺には、蝶よ花よと育ててきたかわいい一人娘がいる。
俺も妻も40を過ぎてできた子だから、そりゃあ生まれた時から猫可愛がりしたものだ。
だからまさか、15になったわが子に、
「高校には、行かない」
なんて言われる日が来るとは思わず、呆然としてしまった。
俺たちの育て方の、何が悪かったんだろうか……?
「華子ちゃんっ?!?!」
妻の光代が動転して叫んだ。
完全に声が裏返っている。
しかし娘の華子は飄々としたもので、しれっと、
「だから、高校には行かないってば。今言ったでしょ」
なんて言ってのけるのだった。
なんとか冷静さを取り繕いながら、今度は俺が声をかける。
「華子、おまえ、やりたいことでもあるのか?」
「うん」
「……おお、そうかそうか! もうやりたいことを見つけたか。それで、何がやりたいんだ?」
「私、京都に行って、舞妓さんになりたい」
「……!」
絶句してしまった。
確かに去年、海外で生まれ育った華子をはじめて京都に連れて行った際、本物の芸妓を見て大層感激はしていたが……我が娘がそこまで単純だったとは。
「おまえ、舞妓がどういう仕事か知ってるのか?」
「酔っぱらいの相手でしょ、主に」
「そ、それがわかってるならなぜ!」
「……でも彼女達は、同時に、とても重要な日本文化の担い手でもあるじゃない」
「確かにそうかもしれないが、な、なにもお前がなる必要は無いだろう。成績はいいんだから、高校、いや大学くらい……」
「やだ」
「親に口答えするのか?!」
「うわ、やめてよ。みっともないよ、そのフレーズ。こっちは自分の意思を伝えてるだけでしょ」
実の娘に、みっともないと言われ、言葉に詰まってしまった。
もう10代ともなると、立派な大人だ。
文字通り子供だましの言い回しなど使おうものなら、痛いところを的確に突いてくる。
その時、視界の横を、素早く何かが横切った。
バシィッ!
光代が思い切り、華子の頬をビンタしていた。
打たれた頬を押さえる華子。
号泣する光代が、叫ぶ。
「お母さんがどんな思いであなたを育てたと思ってるのよぉっ!」
絶叫するなり光代は華子にすがりつき、ガクガクと揺すり始めた。