悩めるシンガポール在住者の前に、忽然と姿を表す場末のスナック、それが「夜間飛行」。
赤い布張りのソファに、古ぼけたミラーボール、そしてそれらを包み込む、懐かしい昭和の歌謡曲。
これは異世界? それとも幻?
時代に取り残されたようなその空間は今夜も、疲れた人々の心にそっと寄り添う……。
不完全燃焼、ってやつ……なのかな。
閉じた瞼に降り注ぐ、シャワーの雫。
私は、ようやく伸びてきた長い髪を洗いながら、そんなことを考えていた。
去年、私の再婚が決まった時、昔からの女友達は皆、涙を流して喜んでくれた。
私が前夫にいかに酷い仕打ちをされたのか、そして娘を連れてどんな思いで逃げ出したのか、その経緯を知っているからだ。
前夫は、誰がどう見たって酷い人間だ。
結婚当初からモラル・ハラスメントが始まり、娘が生まれてからは身体的な暴力へと変わった。
生まれたばかりの娘に危害が加わらないよう、覆い被さるようにしてかばう私の、背中を蹴り上げ後頭部を殴り続けた。
「ガキがうるせぇんだよ! テメェ黙らせろよこの役立たず!!」
やがて髪が引っ張られる感覚と共に、鈍いハサミの音が響いた。
じょきっ、じょきっというおぞましい音をたてて、ずっとロングだった私の髪は、無残な黒い塊となって床に落ちた。
今の夫は、優しい。
5 歳の私の娘を、我が子同然かそれ以上に可愛がってくれる。
私のようなバツイチの子持ちが、7つも若い会社の上司に見初められただなんて、奇跡も良いところだろう。
シンガポール赴任にまで帯同させてもらい、何不自由ない暮らしをさせてもらっている。
でも……穏やかな暮らしを手に入れた、今。娘を送り出して夫に抱かれる時、いつも思うのだ。
足りない。
抱かれても抱かれても、満たされるということがない。
脳がショートするような、生も死もないような、圧倒的な快楽が欲しい。
窒息したい、絶望したい、ばらばらの肉片になってしまいたい。
おそらく私の体は、前夫の暴力と、その後すぐにやって来る猟奇的な交わりによって、マゾヒスティックに作り変えられてしまったのだと思う。
優しく、宝物のように触れてくる今の夫には、望むべくもない背徳。