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【Ep. 16】お悩み:今夜夫に「好きな人ができた」と伝えます

※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切の関係がありません。

 

 

悩めるシンガポール在住者の前に、忽然と姿を表す場末のスナック、それが「夜間飛行」。

赤い布張りのソファに、古ぼけたミラーボール、そしてそれらを包み込む、懐かしい昭和の歌謡曲。

これは異世界? それとも幻?

時代に取り残されたようなその空間は今夜も、疲れた人々の心にそっと寄り添う……。

 

このシリーズの過去記事↓

 

 

 

「ねえ、あなた……」

 

 

「なんだい?」

 

 

「……えっと、あのね……」

 

 

「なんだよ聡子、勿体ぶって」

 

 

「う、ううん、あのね、ごめんなさい……実は、おビール切らしちゃったの」

 

 

「なんだよー。頼むよ、それだけが俺の楽しみなんだからさ」

 

 

「ごめんなさい、すぐに買ってくるわね」

 

 

家を出ると周囲はもう暗く、ほぼ満月に近い月が、目前に大きく輝いていた。

咎めるように私を見下ろしている。

 

 

はぁ……。

 

 

大きくため息をつき、スーパーとは逆方向へと、歩みを進めた。40代になって幾分ボリュームが減った長い髪を、夜風がかきあげていく。

 

 

今日も、あの人に、切り出せなかった。

 

 

胸の中を、どんよりとした気持ちが満たしていく。どうしても言えなかった一言を、風にかき消すようにして、そっと呟いてみる。

 

 

「ねえあなた、私……好きな人ができたの」

 

 

その語尾は、通りがかった若者グループの笑い声にかき消されて、自分の耳にさえ届かなかった。

 

 

住んでいるコンドの近くに、ちょっと変わったセンスの花屋ができたと聞いたのは、つい2ヶ月ほど前のことだった。

花を飾る習慣は、シンガポールに移り住んでから身についたもの。

夫婦ふたりで暮らす部屋は、いつもどこか寂しかったから、私は明るい色の花をよく飾るようになっていた。

 

 

「いらっしゃいませ! 何をお探しでしたか」

 

 

店の扉をくぐるなり響いてきたのは、低いバリトンボイス。

2秒遅れて花の影から姿を現したのは、花とはいささかミスマッチな、筋肉質な若い男性だった。

白くピッタリとしたT シャツに、デニムのエプロン。コームで整えられたクラシカルな髪型のせいもあって、「男前」という表現がピッタリの好青年だった。

 

 

その日は、彼が薦めてくれた、薄紫のあじさいを買って帰った。

オシャレなクラフトペーパーに包まれたそれは、他の花屋より少し高くついたけれど、そんなことはどうでも良くなるくらいに素敵だった。

このようなイマドキふうの花屋のことを、ヒップスターフローリストと言うらしい。

その時はてっきり、この心のときめきは、彼から買った花のせいだとばかり思っていたのだけれど……

 

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