悩めるシンガポール在住者の前に、忽然と姿を表す場末のスナック、それが「夜間飛行」。
赤い布張りのソファに、古ぼけたミラーボール、そしてそれらを包み込む、懐かしい昭和の歌謡曲。
これは異世界? それとも幻?
時代に取り残されたようなその空間は今夜も、疲れた人々の心にそっと寄り添う……。
いつものカフェ「Brawn & Brains Coffee」に行くと、窓際のカウンター席にまさみが座っていた。
本を読むクールなその横顔を見た瞬間、心臓がどくんと音を立てる。
やっぱり、いたか。
この店はダコタ駅の近くに住む俺の家から徒歩圏内だ。
でも、ユーノスの方に住んでいるまさみの家からはけっこうな距離がある。
それでもなぜか、まさみはよくこの店に来ていた。
俺にコーヒーの味はわからないが、ここの店のコーヒーは特に美味しいのだと言う。
「よぉ、まさみ」
「あ、田中じゃん」
たったこれだけの会話を交わしただけだった。
まさみの隣に座れたら最高だったけれど、生憎その席には白人男性が陣取っていた。
そこで俺は仕方なく、コーヒーを頼んで奥の席に座った。
そして、まさみの切れ長の瞳が活字を追う姿を見つめながら、ただコーヒーをすすった。
まさみと俺は、同じコールセンターで働く現地採用仲間だ。
同期入社は俺とまさみの2人だけということもあって、比較的仲は良い方だと思う。
はじめてまさみを見た時俺は、女優でもおかしくないようなその美貌に釘付けになってしまった。
でも、それだけだ。一緒に働いてきた5 年間の間、ずっと俺はまさみを見つめるだけだった。
そう、今日みたいな日が、かれこれずっと続いている。
だってまさみと俺じゃ、明らかに釣り合いが取れなかった。
なにせあいつはよくモテる。
たまに恋愛相談を持ちかけてくるのだが、それは大抵、どこぞの男に言い寄られているんだけれどどう断ったら良いだろうといった類の相談だった。
時には話の流れの中で、男達からのメールやチャットを見てしまったこともある。