シンガポールのコールセンターで働くリョータは、29歳。
30歳を目前にして、彼は焦っていた。
「彼女いない歴=年齢」も、20代ならまだ可愛げがある。
しかし30代ともなるとさすがに悲壮感が漂う。30歳になるまでに、なんとか彼女を作りたい。
いや出来ることならむしろモテたい。モテてみたい。モテてモテて困ってみたい……!
そんなリョータが手にした一冊の本、それが藤沢数希著「ぼくは愛を証明しようと思う」だった。
この本に衝撃を受けた彼は、モテない人生にレボリューションを起こすべく、「ナンパ師」としてデビューを果たす。
駐在員が俺の目の前で、華麗にキャビン・アテンダントをお持ち帰りしたあの夜から1週間。
俺は今、夕暮れ時のドビーゴートにいる。
ショッピングモール 「The Cathey」の前と言えば、わかってもらえるだろうか。
あれからというもの、俺はポッキリと折れたメンタルを回復させることに必死だった。
ナンパ師になって初めて、明確な敗北の味を舐めた一件だったからだ。
「ナンパなんてもうやめてしまおうか」という思いさえ去来した。
それも、一度や二度ではない。
しかし気分が底を打ったその夜、不思議な夢を見た。
夢の中にナンパの女神様が出てきて、俺にこう訊くのだ。
「あなたがナンパしたいのは……
アンティーですか?
キャビン・アテンダントですか?
それとも……
もっと若くてピチピチした女の子ですか?」
俺の返事を聞かずに、ナンパの女神は消えてしまった。
そして目覚めた時、俺ははっきりとその夢の意味を悟っていたのだ。
ドビーゴートにはたくさんのアートスクールがある。
オシャレでピチピチした、昨日まで女子高生だったような若い女の子たちがたくさんいる。
俺……俺……キャビン・アテンダントみたいな高嶺の花もいいけど、色んなことをまだよく知らない、若い女の子ともデートしてみたい!
できるなら俺色に染めてみたい……!
というわけですっかりモチベーションを回復した俺は、前回の反省を踏まえて、会話を弾ませるルーティーンをみっちりと練習してきた。
特に力を入れて練習したのが、「ディスる」というやつだ。
ディスるとは、ディスリスペクト、つまり蔑むという意味で、恋愛工学では、ギリギリ笑える範囲で相手を馬鹿にしたり、からかったりすることを指す。
恋愛対象として相手に興味がないことを示すことで、逆に相手の興味を引き出す、非常に強力なテクニックなのだ。
俺は練習として朝晩、枕に向かい、ひたすらディスった。
「君、ちょっとくたびれてるよね?」
「君、枕カバー汚れてない?」
「君、前より弾力落ちてるよね?」など、枕のディスり方に関してはかなり上達したと思う。
そして今夜、満を持して、アートスクールの学生たちがたくさん通り過ぎるこの場所で、ナンパを開始したというわけなのだ。
「ハロー! ユー・アー・プリティ!」
これまた前回の反省を踏まえ、直説法でバシッとダイレクトに話しかける。
なかなかみんな立ち止まってくれないが、相手の親切心に付け入るようなことをして立ち止まらせるより、こちらも気持ちが楽だ。
しかしあまりにもみんなに「プリティ」「プリティ」と言い続けると、信憑性がなくなってしまう。
そこで俺は、1人の女の子に話しかけた後、必ず2分以上あけて他の女の子に話しかけることを徹底した。
効率は落ちるが、その方が良いだろう。
おそらく10人には声をかけただろうか。
休憩を挟んでいると、アートスクール方面から、とびきりオシャレで可愛い女の子が歩いてきた。
緑に染めた髪がカッコイイ。
ちなみに俺の好みは黒髪なのだが、似合っていれば問題ない。
全然問題ない。
すかさず、声をかける。
「ハロー! ユー・アー・プリティ!」
「……テル・ミー・サムシング・アイ・ドン・ノウ! ハハ」
やったー!! 返事をしてくれた! しかも、笑っている!
英語で返されたからよくわからないが、察するに、「私が可愛いって? 知ってるよ、ハハ」といったニュアンスのジョークなのだろう。
いい雰囲気だ。
ものすごくいい雰囲気だ!
ここはひとつ、軽いディスりで、一気に距離感を縮めたいところ!
早くも練習の成果を発揮する時が来た……!
「ユアヘアー! シー・ウィード!! シー・ウィード・カラー!!」
満面の笑みで、「君の髪、海藻っぽい色だね」と言ってみる。
彼女の髪を一目見た時から思っていたのだ。
このダークトーンの緑色、すごく海苔っぽい。
いい意味で海苔っぽい。
しかし……彼女の表情は、みるみるうちに険しくなっていった。
あ、まずい……ちょっとディスりすぎたかな?