シンガポールのコールセンターで働くリョータは、29歳。
30歳を目前にして、彼は焦っていた。
「彼女いない歴=年齢」も、20代ならまだ可愛げがある。
しかし30代ともなるとさすがに悲壮感が漂う。30歳になるまでに、なんとか彼女を作りたい。
いや出来ることならむしろモテたい。モテてみたい。モテてモテて困ってみたい……!
そんなリョータが手にした一冊の本、それが藤沢数希著「ぼくは愛を証明しようと思う」だった。
この本に衝撃を受けた彼は、モテない人生にレボリューションを起こすべく、「ナンパ師」としてデビューを果たす。
ブアンコック駅を降りたら、行ってみたい場所があった。
シンガポール本島に唯一現存する最後のカンポンこと、カンポン・ロロン・ブアンコックだ。
カンポンとは、そう遠くない昔までほとんどのシンガポール国民が暮らしていた、
昔ながらの“村”のことである。
かつてのカンポンの住人たちは、すでにHDBに住み替えているが、ここブアンコックには、昔ながらのカンポンがひとつだけ残っていると聞いていた。
以前どこかで読んで、一度訪れてみたいと思っていたのだ。
駅からは少し遠かったが、歩いてみることにした。
典型的なHDBの横で、近所の人と思わしきシンガポーリアンとすれ違う度に、「この人も生まれはカンポンだったのだろうか」などと考える。
俺は発展しきったシンガポールの姿しか知らないが、きっとシンガポールの人たちがやたら親切なのは、カンポン・スピリットと呼ばれる助け合いの精神が、今も息づいているからなのだろう。
カンポン・ロロン・ブアンコックは、本当に「村」だった。
緑豊かな敷地内に、小ぶりでカラフルな家が立ち並んでいる様子は、見ているだけでほっこりしてしまう。
夕暮れ時のこの時間、多くの若い女性たちが、友人と連れ立って写真を撮りあっていた。
なるほど、このレトロな景色を求めて、シンガポール中のインスタグラマーが集まってきているらしい。
確かに、絵になる光景ばかりだった。
置き去りにされたようなブランコ。色とりどりのペンキが塗られた木造の壁。
無造作に置かれた植木鉢、優しい日陰を作る樹々……ああ、シンガポールとは、かつてこんなにのどかだったのか。
思わず俺もこの光景を残しておきたくなり、携帯のカメラを構えた、その時だった。
まるで雑誌の1ページに出てきそうな、LA風ファッションをばっちり着こなした美少女が、舗装されていない道の向こうからゆっくりと歩いてきたんだ。