シンガポールのコールセンターで働くリョータは、29歳。
30歳を目前にして、彼は焦っていた。
「彼女いない歴=年齢」も、20代ならまだ可愛げがある。
しかし30代ともなるとさすがに悲壮感が漂う。30歳になるまでに、なんとか彼女を作りたい。
いや出来ることならむしろモテたい。モテてみたい。モテてモテて困ってみたい……!
そんなリョータが手にした一冊の本、それが藤沢数希著「ぼくは愛を証明しようと思う」だった。
この本に衝撃を受けた彼は、モテない人生にレボリューションを起こすべく、「ナンパ師」としてデビューを果たす。
MRT ウッドリー駅で降りたのは、俺ひとりだけだった。
一応、ここまで来てはみたものの……俺は今までのナンパ道で、かつて感じたことのない不安を感じていた。
そもそもこの駅の周辺に、誰かいるのだろうか。
ナンパに行く時はいつも、Google Mapでその駅の周辺を検索することにしている。
しかし、このウッドリー駅は明らかに他の駅と様子が違っていた。
何せ、なにもない。
コンドミニアムらしき建物や、学校らしきマークこそあれど、そのほかはどうやら未開発のようだった。
こんなところでナンパをするなんてバカげているのだろうが、一度決めたことはやり切るのが俺の良いところだと思っている。
パープルラインの駅全てでナンパをすると決めたのだから、たとえ誰もいなくたって、やるのだ。やり切るのだ。
駅には人っ子一人いなかった。
とりあえず、地上を目指す。出口を出た瞬間、濃厚なプルメリアの香りが俺を出迎えてくれた。
南国ならではのこの香り! 駅周辺は思った通り緑豊かで、ただただ何もない緑地が広がっていただけだった。
けれど、夜風が運んで来る花の香りを感じられるだなんて、ちょっと素敵な場所じゃないか。
「うーん、いい香りだなぁ……」
そんなことを口にした瞬間。後ろから、鈴を鳴らすような声が聞こえてきた。
「いい香りですよね!」
振り返るとそこには、古風なマレー系美女が佇んでいた。
歳の頃は20歳そこそこだろうか。マレー衣装バジュ・クロンを着こなし、頭にはトゥドゥンと呼ばれるスカーフを巻いたいでたち。異国情緒たっぷりで、独特の美しさと気高さがあった。
「本当ですね。どこから来るんでしょうね? この匂い」
俺がそんな風に返すと、彼女はにっこり笑って、遠くの方を指差した。暗くてよく見えないが、きっと指差す方向にプルメリアの木があるのだろう。俺はドキドキしながら、この千載一遇のチャンスを逃さないよう、慎重にこんなお願いしてみた。
「もし良かったら、連れて行ってくれませんか?」
その時彼女が、心底嬉しそうに、パァッと笑顔を弾けさせた。か、可愛い……!
「行きましょう行きましょう! さぁ、こっちですよ♡」