我輩はマーライオンである。そっちじゃない、小さい方だ。
そう、観光客に大人気のあのでかいマーライオンの傍で、ショボく水を吐いている、ミニマーライオンである。
俺たちマーライオンには、それぞれシンガポールの守り神としての担当がある。
一番大きなセントーサのオジキは、シンガポール居住者担当。エースであるマーライオンパークのアニキは、観光客担当。
そして俺は、そのどちらにも属さない中途半端な人々、いわゆる『浮遊層』を担当している。
はっきり言って閑職だが、俺はこの『浮遊層』たちが大好きなんだ。
俺が守り神として使える魔法は、二つだけ。
人のお腹を瞬時に空かせることと、二日酔いを防ぐことだ。
なんの役に立つのかって?
いやいや、これがどうして、なかなか役に立つものなのさ。
おや? 今宵も、愛すべき浮遊層が一人……
私は小林麻子、34歳。
今日は、親子留学の下見でシンガポールにいるの。
娘のまゆかはあまり留学に乗り気じゃないようで、ずっとグズってばかりいるんだけど……シンガポールに数年留学させることは、絶対彼女のためになると思ってる。
まだ5歳、でももう5歳。
この子にはしっかりと英語を身につけてもらいたいから、小学校はこちらのインターナショナルスクールに入れるつもり。
そもそも事の発端は、てっきり海外駐在してくれるものだろうと思って結婚した商社マンの夫が、いきなり会社を辞めてベンチャーに転職したことだった。
もちろん事前に相談はされたけれど、私の反対を押し切って結局、彼は名もないベンチャーの役員になった。
役員と言ったって、吹けば飛ぶようなもので、聞けば誰もが知っている商社の社員だった頃に比べれば、正直ダウングレード感が否めない。
できれば南の島で、優雅な駐妻生活をしたかったのに……素敵なコンドミニアムに住んで、メイドを雇って、お友達とアフタヌーンティーをして、気が向いたら子供の勉強を見てあげて。
商社マンと結婚した時点では、数年もしないうちにそんな生活が手に入ると信じて疑わなかった。
それなのに、あの人は、勝手に転職なんかして私の夢を打ち砕いたんだ。
諦めきれずに、色々な海外在住者ブログを眺めていたら、ある日、親子留学というものがあることを知った。
幼稚園や小学校の頃から、海外で教育を受けるために、お母さんと一緒に海外移住する子供たちがいるらしい。
これだ、と思った。
夫に文句は言わせなかった。
「ねえ、まゆかちゃん、シンガポールって、とってもいいところだと思わない?」
「まゆか、早く帰りたいよ……パパに会いたい……」
色々な学校や生活拠点を見て回っているうちに、シンガポール留学がますます現実味を帯びてきたことを、子供なりに感じ取ったのだろう。
まゆかはますますグズりだし、ついには泣き出してしまった。
「まゆか! 道の真ん中で泣いてないで、行くよ!」
「やだぁ……もうどこにも行かないぃ……」
「ちょっと不動産屋さんに寄ったら、ホテルに帰るから!」
「ふどーさんやさん……?」
「シンガポールのお家を探してくれるところよ」
「イーーーヤーーーだぁーーーー! シンガポールにお家、いらない! まゆか帰る!!」
「ワガママ言わないのっ!! あなたの将来のためなのよっ!!」
「なんでまゆか、 パパと、ママと、今のお家で暮らしちゃダメなの?」
「新しいおうちの方が、まゆかのためなのよっ!!」
「ママの言うこと、わけわかんないよう〜〜……うわぁぁぁぁぁん」
その時だった。経験したこともないような空腹が、突如として私を襲った。なんなのだろう、ストレスだろうか。
とてつもない空腹感のおかげで、ますますまゆかに腹が立ってくる。
「うるさい子ね! つべこべ言わずにさっさと来なさいっ!」
「いやだぁぁ……」
「ママ、お腹空いてるんだから! とっとと動きなさいって言ってるのよ!!」