我輩はマーライオンである。そっちじゃない、小さい方だ。
そう、観光客に大人気のあのでかいマーライオンの傍で、ショボく水を吐いている、ミニマーライオンである。
俺たちマーライオンには、それぞれシンガポールの守り神としての担当がある。
一番大きなセントーサのオジキは、シンガポール居住者担当。エースであるマーライオンパークのアニキは、観光客担当。
そして俺は、そのどちらにも属さない中途半端な人々、いわゆる『浮遊層』を担当している。
はっきり言って閑職だが、俺はこの『浮遊層』たちが大好きなんだ。
俺が守り神として使える魔法は、二つだけ。
人のお腹を瞬時に空かせることと、二日酔いを防ぐことだ。
なんの役に立つのかって?
いやいや、これがどうして、なかなか役に立つものなのさ。
おや? 今宵も、愛すべき浮遊層が一人……。
俺は高潮清志、2 8歳。
フリーランスでプログラマーをしながら、定住先を決めずに海外を転々とする、海外ノマド生活を送っている。
しかもちょっとカッコイイことに、嫁と子供も連れてノマドしちゃってるんだ。
海外ノマドは数多くいれど、妻子を連れて世界を回っている男はなかなかいない。
そんな生活を綴った俺のブログ「ファミリーで住む場所をデザインするという生き方」は、ノマド界じゃちょっとした存在感を放っていると思う。
ブログにも時々登場する俺の美人妻が、今隣で子供を抱いてるマリカだ。
今から3年前、居酒屋でバイトしているところに一目惚れして、毎晩通って口説き落とした。
元ヤンだから怒ると怖いが、根はとても真面目でしっかりした女性だ。
やがて妊娠が発覚し、結婚。
現在は、1歳になったばかりの息子、大輝と共に、俺の海外ノマド暮らしに付き合ってくれてはいるのだが……。
「なぁマリカ、今夜、外食しようか。何食べたい?」
「別に……」
マリカは決してこのライフスタイルに賛成じゃなかった。
乳飲み子を抱えて旅を繰り返すのは、相当な負担らしい。
しかも今まではタイとかインドネシアとかあの辺りばかり拠点にしてきたから、いつか大輝が深刻な感染症にかかるんじゃないかと、マリカはずっとピリピリしていた。
そんな状況を改善すべく、2週間前からはもっと衛生的なシンガポールに移動して来たのだが……マリカの機嫌は相変わらず最悪だった。
そして、決定的な出来事が起こる。
「大輝……熱あるよ」
「ええっ?!」
マリカがそう言うので、仕事の手を止めて大輝の額に手を当てると、確かにびっくりするほど熱かった。
「病院連れて行かなきゃ! 清志、タクシー呼んで!」
「いや、でも……」
「でも?」
「入ってないんだ、保険」
「ぇえ?! どういうこと?!」
「いや、他の国にいる時はさ、なんかあったら困ると思って、ずっと入ってたんだよ。でもシンガポールなら衛生的な国だし、大丈夫だと思って……今回は海外旅行保険に入ってないんだ」
「信じらんない……」
「大丈夫だよ、子供だからさ、熱くらい出すよ」
「……」
「寝かしとけば大丈夫だって。な?」
「……ふざけんなよテメェッ!!」
マリカは俺に掴みかかり、血走った目で睨みつけた。
「デング熱とかだったらどうすんだよ?」
「いや、たぶん大丈夫だよ」
「何を根拠に! そんなこと言ってくれてんだよ!!」
「マリカ、落ち着いて。俺が大輝のこと見てるからさ、ちょっと休憩してきたら?」
「寝ぼけたこと言ってんじゃねーよ!! 一人じゃ一時間も面倒みれた試しがないくせに!!」