我輩はマーライオンである。そっちじゃない、小さい方だ。
そう、観光客に大人気のあのでかいマーライオンの傍で、ショボく水を吐いている、ミニマーライオンである。
俺たちマーライオンには、それぞれシンガポールの守り神としての担当がある。
一番大きなセントーサのオジキは、シンガポール居住者担当。エースであるマーライオンパークのアニキは、観光客担当。
そして俺は、そのどちらにも属さない中途半端な人々、いわゆる『浮遊層』を担当している。
はっきり言って閑職だが、俺はこの『浮遊層』たちが大好きなんだ。
俺が守り神として使える魔法は、二つだけ。
人のお腹を瞬時に空かせることと、二日酔いを防ぐことだ。
なんの役に立つのかって?
いやいや、これがどうして、なかなか役に立つものなのさ。
おや? 今宵も、愛すべき浮遊層が一人……。
俺は泉谷浩成、52歳。
名字で気づいた人もいるかもしれないが、俺は泉谷製薬を筆頭にあらゆる事業を手がけている、泉谷グループの創業一族の一人だ。
同族経営としては日本でも有数の規模だと思う。代々続く一族の資産を守るため、俺は若い頃からある役割を担わされてきた。
いわゆる、パーペチュアル・トラベラー(永遠の旅行者)という役割だ。
世界中のどこにも居住地を持たないパーペチュアル・トラベラーは、あらゆる租税を回避できる特殊な存在だ。
俺というパーペチュアル・トラベラーが一族に一人いるだけで、年間にして数十億円の節税になる。
あらゆる資産や収入が俺に紐づけられては、特殊なルートを辿って、一族の富としてプールされていく仕組みになっていた。
ただし、それを可能にするために、俺はひとつの国に年間1/2以上滞在することは許されない。
そして……一人の女性と長く一緒にいることも、許されないのだ。
俺は20代の頃からずっと、同じ女性と3年以上続けて交際したことがなかった。
それも一族の資産を守るために他ならない。
なぜなら、一定期間以上同じ女性と交際したり同棲したりした場合、「内縁の妻」としての権利が認められてしまうケースがあり、別れる際に財産分与を求められる可能性があるからだ。
一族から多くの資産や収入を紐付けられている俺にとって、それは許されないリスクだった。
ひとつの場所に留まることも、ひとりの女性に留まることも、許されない。
それが俺の人生だし、宿命というやつだと……疑うことなくそう、思っていた。
今回のシンガポールでの滞在先、リッツ・カールトンレジデンスは、オーチャードの喧騒から程よく離れていて心地よかった。
今回のシンガポール滞在は2 ヶ月の予定だった。
次はモナコ、次はカリブ海と、ほぼお決まりになったパターンで移動を繰り返していく。
人はこんな生活を豊かだと表現するのだろうが、ほんの少しの荷物を持って移動を繰り返す暮らしは、人を早く老けさせるに十分だった。
楽しかったのは30代までだ。今は金のかかる趣味にも興味はなく、恋人の涼子が作る日本食を肴に晩酌するのが、何よりの楽しみだった。